スティーブ・ジョブズ

言語性は高いがコミュニケーション能力は低い

 アメリカ・アップル社の創業社スティーブ・ジョブズ。


 マイクロソフト社の会長ビル・ゲイツ氏同様、スティーブ・ジョブズ氏は周囲の感情に無頓着なアスペルガー症候群の特徴を有していた人として語り継がれています。

 ジョブズの仕事は独断専行型でジョブズの要求の水準に達しないスタッフに罵声を浴びせたり、即刻解雇を申し渡したりするエピソードは事欠かない人でした。 

 このようなタイプの人に多く見られる服装や身だしなみにも無頓着なエピソードがアップルの創業時のエピソードとして残されています。何日も風呂に入らず、長髪でサンダルか裸足で社内を歩き、商談までも裸足でヒッピー同然の格好でやってきたという話です。


 このような話を耳にすると自閉症スペクトラムであるアスペルガー症候群の特徴的な社会不適応なつまずきである「言語性は高いがコミュニケーション力が低い」と言った、会話が一方的なスピーチや独演会のようになりがちで相手のことをあまり気にしないようなタイプであったり、相手の視点で物事が考えられず独りよがりや自己中心的な人物であると誤解されがちなタイプのように周囲から受け取られていたことを想像することができます。


 もちろん真実はわかりませんが、このような話を聞くと、自分のことのように思い当たることがある人たちがたくさんいるのではないでしょうか?


 彼の企業人としての実績、社会貢献度はあえてここで言うまでもありませんが、このような偏りがあったからこそ、人の思いもつかない、今までの常識を超えた数々の素晴らしい製品を世界中に送り出し、私たちの生活に豊かさを与えてくれたとではないでしょうか。

スティーブ・ジョブズの生い立ち〜学生時代】


 スティーブ・ジョブズは、1955年にシリア人の父とアメリカ人の母の間に生まれるも母親側の親族が結婚を認めなかったため生まれる前から養子にだされることが決まっており、結果、育ての親である、父ポール ジョブスとクララに引き取られることになった。

 6歳の時、ヘアピンに本当に電気が通るか確かめるためにヘアピンをコンセントにつっこみ感電。授業中に花火をしたりと好奇心旺盛なヤンチャな少年だった。

 10歳の頃、教師の影響で勉強が好きになる。16歳の時、後にアップルを共同設立することになるスティーブ・ウォズニアックに出会う。二人で無料で不正に長距離電話をかける装置を自分たちの手でつくり販売する。17際の時、リード大学に入学する。半年で中退することになるが、この時うけたカリグラフィの授業が、アイデアの元となり後のMacintoshでモニタ上で美しい書体を表示したり、GUI思想につながる。

【アップル社設立〜退任に追い込まれるまで】


1976年、ジョブズが22歳の頃、スティーブ・ウォズニアックと共にアップル社を共同設立。

 自宅のガレージから出発したアップル社は、今日では、iPhoneやMacなどイノベーティブな製品やサービスを生み出した世界的な企業に成長させた。

 1984年に発売された革新的なGUI(グラフィカルユーザーインターフェイス)を用いたMachintoshは当時のパソコンの既成概念を打ち破った画期的なパソコンとして認知されたが、社内でのジョブス本人の立ち振る舞いが混乱を招いたとして閑職に追いやられる。そしてその後みずからアップルを退職した。

 退職後はピクサーアニメーションを設立(その後ウォルトディズニーの完全子会社になる)。

【アップル社へ復帰】


 1996年、業績不振に陥っていたアップル社に暫定CEOとして復帰。ライバルであるマイクロソフト社との連携やリストラを行い数年で業績を回復させた。

 パーソナルコンピュータの事業領域を家電やエンターテインメント領域に拡大し、iPodやiPhone、iPadなどの革新的サービスを次々と発表し、事業を急成長させた。

 若いころインドを放浪したのち、サンフランシスコで曹洞宗の禅を学んだ仏教徒である。スピーチやコンセプトに禅の考えをよく引用したことでも知られる。

 2011年10月5日、膵癌で56歳で死去。長い間ライバルであり尊敬できる友人でもあったビル・ゲイツなど世界中の業界関係者から死を惜しむ声が寄せられた。